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つれづれ日記 日本という、芸術 1

先程の「日本の児等に!」に続き、ここで一つ私の心の内を正直に述べますと、私はつい最近まで、日本という國に誇りを持っていませんでした。そもそも、日本という國に対して、全くもって無関心でした。つまりは、日本を愛することができませんでした。そんな自分を私は、とても嫌悪していました。
自分の心の中のどこかが、すっぽりと抜け落ちてしまっているような、何か大切なことを見逃しているような、というよりは、それに触れるのを恐れて目を背けていたような、誤魔化していたような、言葉には顕し難い違和感が、ずっと存在していました。

ですが、その違和感がある瞬間に突然、ふっと消えてなくなったのです。

そのあとに静かに残っていたもの。

それが「愛國心」でした。

國を愛する心が、自然に芽生えた瞬間でした。それからというもの、なぜかはよくわかりませんが、理屈抜きに日本に誇りを持てるようになり、日本の伝統や文化に対する好奇心がとどまらず、砂漠に水を注ぐが如く、ブラックホールがすべての光を悉く飲み込んでいくが如く、日本にまつわるありとあらゆる出来事が直感的に自分の中に吸い込まれていく実感があります。

では、日本とは、いったい何か。

今日はその問いに、いのちの繋がりという側面から、考えたいと想います。

私たち人類は例外なく、お父さんとお母さんからいのちを授かります。では、お父さんとお母さんはというと、言うまでもなく、そのお父さんとお母さんから、いのちを授かったわけです。そのお父さんお母さんはというと、、、、、という具合に、いのちは絶えることなく脈々と繋がっています。

そのいのちの連鎖は、そのときの環境(自然、人、もの)との関わり合いの中で、ありとあらゆる感覚と想像力を見事に総動員し、その時代を築きながら、今に至ったわけです。つまり

「日本列島という島における、いのちのつながりが産み出した芸術結晶体」

これこそが「日本」であると、私は考えます。ですから、日本とは、私たちのお父さんお母さんのことであり、おじいさんおばあさんのことであり、総じてご先祖の皆様のことでもあります。そのご先祖様がいたお陰様で、今の自分が在る。そう考えると、愛國心というのは、自分の両親に感謝する心、ご先祖様に感謝する心とも、捕らえることができます。

ご先祖様、お父さん、お母さん、いのちを授けてくれて、ありがとうございます。

逸見康成 拝
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