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THE RYOUNKAKU

今日は、「THE RYOUNKAKU」というミュージカルに行って來ました~。
すごく感動しました!!
とてもエネルギッシュな舞台で、元氣をもらいましたー。
ミュージカルっていいなって思いました。
音楽も、生演奏でヴァイオリンとかフルートとか箏とか三味線とかいろんな楽器があったりと、とても興味深いミュージカルでした。興味を持たれた方はぜひ検索してみて下さい♪
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初めての詩  日本の行方

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「荀(まこと)に読みて之を行はば、則ち千萬世と雖(いえど)も得て尽すべからず。」

(書物を読んで、その知識を実践したならば、幾千万年にわたって実践したとしても、実践し尽くすことは出来ないのである。) 幕末の思想家  吉田松陰


こんにちは。

三度の飯より日本の教育 逸見康成です。

初めて、詩というものを書いてみました。最近の私の心の裏側です。何かしら感じていただけたら、嬉しいです。



~拙文 日本の行方~

いにしへの書物を開く。いにしへの心に寄り添う。懐かしい言の葉の調べ。その裏(うち)に潜む、やまと人の、純粋一途で豊かな芸術的感覚、生きとし生けるすべてのものへの尊崇の念、氣高く清く美しく生きる民族精神の片鱗に触れる。先人の切なる想いの湧水が、千代に八千代に時を超え、現世(うつしよ)に生きる私の身体の隅々まで深く幽(ひそ)かに沁みわたる。ふと、遥か神世の彼方から、声が聴こえる。

「日本は、どこへいったのだ。」

その声を、心のどこかで聴く。その声に呼応するように、アメリカの慈善事業家、シドモア夫人が日本を訪れたときに残した言葉が、頭を過(よ)ぎる。

「先祖の生き様に反抗した今の日本の世代に、先祖はどの様な気持ちでいるでしょう。」

愛惜の念で、胸が痛くなる。

「日本は、どこへ行ったのだ。」

その深遠なる問いは、いつも密やかで、謎に包まれている。

私の止め処ない好奇心よ、飽くなき探求心よ、どうか、日本の未来を照らし給え。





あさって13日は早朝寺子屋です。ぜひ、奮ってご参加ください。共に日本の行方を照らしましょう!

参加申し込みはこちら



いつもご愛読ありがとうございます。

「今、天下の勢、無事にして多難を伏し、至安にして至危を伏す」 共に日本を学び、共に本当の世界を創っていく仲間を、探しています。

「今、天下の勢、無事にして多難を伏し、至安にして至危を伏す」

これは、幕末の思想家であり教育者でもある、吉田松陰先生の言葉です。

現代の日本という国は確かに、ある見方からすると、無事であり、至安であると、言えるかも知れません。

ですが、ある見方からすると、この世界は実に多難を伏し、至危を伏していることに、はっと氣づかされます。


私は上の文章(告子上編 第十八章)を読み、現代が抱える多難と至危と、真っ正面から対峙した瞬間、この世界の本体と出逢うことができたような、本来の自分と出逢うことができたような、本当に立つべき位置に立つことができたような、深い眠りから目が醒めたような、そんな感じが致しました。


そう、私は今まで、無事、至安のみに生きていました。

それなりに幸せだし、友達もそこそこいるし、これといった不満はない。やりたいことは一通りやっているし、夢も持ってるし、人生も不器用なりにうまくいっている。結婚もして、子どもも生れて、けっこう幸せな家庭が築けていると自分ではおもっている。愛とか平和とかいう言葉が好きで、世界のみんなが幸せになったら良いなって、いつもどこかで願っている。


だけど・・・


だけど、誰といても、何をしていても、何かが、足りない。

なんだか、生きているのに生きていないような、大切なことを見逃しているような、目を背けているような、逃げているような。

そんな虚無感と違和感が、この22年間私の心に潜んでいましたが、ようやくその正体がわかった氣がします。

私たちは、この世界の本当の現実を直視することができたとき初めて、自分の本当の使命に、目醒めるのだと想います。


今こうして地球に生きている私たちは、有り難いことに、命を使える出来事が、たくさん、たくさんあります。

これ以上、悲しみの種が地球に蒔かれることのないように

世界の闇から目を背けず、心の痛みから逃げ出さず、過去の歴史を一身に背負い、愛と勇氣と情熱を胸に


共に、未来に希望を託しませんか?



自分のために。

家族のために。

日本のために。

世界のために。

生きとし生けるすべてのもののために。

子孫(うみのこ)の八十続(やそつづき)に至るまで。

いまこの瞬間、自分にできることは、なんだろう?

本当の本当に、大切なことって、なんだろう?


そんなことを、共に日本を学び、共に本当の世界を創っていく仲間を、探しています。


「一緒に何かやってみたい!」

「日本のことを勉強したい!」

「できることがあれば、何でも言って!」


そんなことを想ってくれた方がいらっしゃいましたら、

denshou_bunka@yahoo.co.jp

0333195361

逸見康成(へんみやすなり)まで、連絡をください。

または

【早朝寺子屋 やまとことのは塾 体験講座】

・寺子屋やまとことのは塾(毎週土曜日 18時30分から21時30分@中野)

にお越し頂き、直接逢ってお話しができたら嬉しいです。上に載せた告子上編も素読しますので、興味の在る方はぜひ。
次回の早朝寺子屋は13日の金曜日です。


いつもご愛読ありがとうございます。

逸見康成  拝

つれづれ日記 日本という、芸術 1

先程の「日本の児等に!」に続き、ここで一つ私の心の内を正直に述べますと、私はつい最近まで、日本という國に誇りを持っていませんでした。そもそも、日本という國に対して、全くもって無関心でした。つまりは、日本を愛することができませんでした。そんな自分を私は、とても嫌悪していました。
自分の心の中のどこかが、すっぽりと抜け落ちてしまっているような、何か大切なことを見逃しているような、というよりは、それに触れるのを恐れて目を背けていたような、誤魔化していたような、言葉には顕し難い違和感が、ずっと存在していました。

ですが、その違和感がある瞬間に突然、ふっと消えてなくなったのです。

そのあとに静かに残っていたもの。

それが「愛國心」でした。

國を愛する心が、自然に芽生えた瞬間でした。それからというもの、なぜかはよくわかりませんが、理屈抜きに日本に誇りを持てるようになり、日本の伝統や文化に対する好奇心がとどまらず、砂漠に水を注ぐが如く、ブラックホールがすべての光を悉く飲み込んでいくが如く、日本にまつわるありとあらゆる出来事が直感的に自分の中に吸い込まれていく実感があります。

では、日本とは、いったい何か。

今日はその問いに、いのちの繋がりという側面から、考えたいと想います。

私たち人類は例外なく、お父さんとお母さんからいのちを授かります。では、お父さんとお母さんはというと、言うまでもなく、そのお父さんとお母さんから、いのちを授かったわけです。そのお父さんお母さんはというと、、、、、という具合に、いのちは絶えることなく脈々と繋がっています。

そのいのちの連鎖は、そのときの環境(自然、人、もの)との関わり合いの中で、ありとあらゆる感覚と想像力を見事に総動員し、その時代を築きながら、今に至ったわけです。つまり

「日本列島という島における、いのちのつながりが産み出した芸術結晶体」

これこそが「日本」であると、私は考えます。ですから、日本とは、私たちのお父さんお母さんのことであり、おじいさんおばあさんのことであり、総じてご先祖の皆様のことでもあります。そのご先祖様がいたお陰様で、今の自分が在る。そう考えると、愛國心というのは、自分の両親に感謝する心、ご先祖様に感謝する心とも、捕らえることができます。

ご先祖様、お父さん、お母さん、いのちを授けてくれて、ありがとうございます。

逸見康成 拝
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